ひとりはさみしい。
ひとりでいると、ぐるぐると胸の奥底の澱んだものが心を侵食して目を曇らせてしまう。
辛くて悲しいことばかりが頭をよぎり、確かにあったはずの温もりさえも信じられなくなる。何もわからなくなってしまう。自分が見えなくなってしまう。
だから、私は表現することをやめられないのだと思う。
自分のなかに渦巻く様々な感情をアウトプットすることによって、自分を見つけようとしているのかもしれない。
日常生活の中で、素直に自分をありのままを全て表現することなんて滅多にない。
楽しい、嬉しいというものは自然と出てきてしまうけれど
悲しい、寂しい、辛い、っていう感情はどうしても隠そうとしがちだ。
ネガティブな感情を人にぶつけることは怖い。
けれど、写真はそういう汚い感情でさえも受け止めてくれる。
美しく切り取ってくれる。芸術という形で残して、私に示してくれる。
美しいというのは造形としての美ではない。
そういうものであるならば、美しくある必要なんてないとも思っている。
汚く、醜く、それがありのままあるのであれば、なお良い。
生きている証拠だ。
ナマモノであればあるほど、パワーを感じるし、それだけ人の心に響くと思っている。いらない感情がそうして、目に見える形で残り、心に響くものであればそれは意味のあるものとなる。
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