コラム02:はるか図鑑

他人と他人が同じ世界で生きていくために、常識はとても大事なものだ。

私たちは様々な決まり事の中で生きている。
法律や規則があるおかげで、守っている限りは他人と余計ないざこざを起こすことなく生活することができるし万が一問題が起こった時も大抵のことは決着をつけることができる。それぞれ生きてきた環境も考え方も感性も違うのだから、それぞれが思う「正しい」ももちろん違う。違うからこそ、自分が「正しい」と思っている普通が否定されることもあるし悪気なく他人に傷つけられることもある。

 

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そうして、他人と関わる中で自分の中の「正しい」が周りに感化されていくのだと思う。人と付き合う上で、周りと同じ感覚をもつというのはとても大事なことだ。けれど、表現する世界の中ではそういうもの囚われる必要はない。周りと違うのがいいというわけではないけれど、自分だけの感覚を見つめてこそ自己表現ができると思っている。何が好きなのか、嫌いなのか、何を表現したいのか、どう表現したいのか。自己表現するということはとても難しいし、恥ずかしいし、怖い。偽りのない自分をもってモノをつくり、それが他人の目に触れてしまうということはつまり評価されるということ。裸の自分をジャッジされるようなものだ。だから、とても恥ずかしいし、怖い。

 

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けれど、そんな臆病な気持ちも恐怖心もクソくらえ、だ。

否定されて傷つくことも、傷つくことを恐れることも、クソくらえなのだ。けれど、無意識にそういう意識が働き自分の表現の幅を狭めていることがある。生きていく中で身に着けた、人に否定されないために、という思考が発動してしまう。私は子供のころから人の感情や思惑を察することが得意だったように思う。どう行動すれば正解なのか、どう発言すれば正解なのか、それを察して相手にとって居心地のいい人を演じるのが癖だった。所謂いい子ちゃんってやつだ。その特技は大人になって役にたっているとは思うけれど、それが全ていい方向に進むとは限らない。自分にとって苦痛でしかないストーリーにのってしまうこともあるからだ。そして、それはとても窮屈で、後悔することが多い人生だったように思う。

 

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