「月刊はるか」は何だったか。
         —対話な一年—

 

月刊はるかがスタートしてから1年、とうとう終わりの日を迎えます。空白のひと月(10月)もありましたが(汗)、継続することができました。結局「月刊はるか」って自分にとって何だったのかなと、一年を振り返りながら浮かんだコトバは”対話”でした。内海はるかが何を考えているのかを知りたいと思い、それは多くの人も知りたいことなんじゃないかと思い、企画して彼女を巻き込んだ一年。そしてスタートした月1の定期的な撮影の場は、次第に撮影のための場と言うよりは、状況整理の場・デフラグの場になっていきました。また、内海はるかが今この瞬間に脳内を占めているもの、やらないではいられないもの、はき出したくて仕方のないものの解放のステージとなっていきました。

 

 

コトバにすること

 

自分の考えをコトバで表現することはとても勇気がいること。そして人に伝わる形に構成をしていくことは大変な思考を伴います。ロジカルに物事を考え、構築することが得意な内海はるかにとっても月1度の2000字は、相当な産みの苦しみとなっていました。結果、月末はるかのオンパレードで・・・・きっとどんなに楽しい飲み会にいても、どんなに大切な人と会っている時でも、「月刊はるか、まだ終わってないーーどうしよーーー(涙)」というプレッシャーの中で過ごした一年だったかもしれません(お疲れ様だったね!)。コトバにすることは自分を知ることでもあります。自分の考えの矛盾に気づかされることもあります。11回の「月刊はるか」の中にも、「あれ?前の回で言っていたことと違うな?」など矛盾があったかもしれません。しかし、その矛盾が内海はるかの今であり、等身大であり、一生懸命を感じられる大きな魅力でもあります。

 

校正

 


被写体「内海はるか」

 

自分にしか撮れない「内海はるか」は何だろうか、と考え続けた1年間でした。ファインダーを通して彼女を見たことのある人は共感すると思いますが、彼女を撮ると写真が上手くなった気にさせられます。勝手に動いてくれて、勝手に絵にしてくれるから。そういう意味で、彼女は多くの人に写真を撮ることの楽しさを共有させるプロだと思います。が、同時に多くのフラストレーションを抱えさせるじゃじゃ馬でもある訳です。「撮ってるというよりは、撮らされている」と。呪いの剣を手に入れた勇者のように。そんな被写体を前に、自分が彼女をコントロールすべきなのか、のびのび走らせるべきかのポジショニングに悩み続けました。すべては被写体「内海はるか」を輝かせるために。彼女の底はまだまだ深く、被写体としての潜在的な可能性が大きいことを自分知っています。これからも新しい内海はるかを残して行くべく挑戦していきます。

 

 

最後に

 

作品を完成させてくれるのは、オーディエンス。読んでくれ方がいて初めて作品になります。見てくださってくれた方々、何かを感じてくれた方々、彼女の尻を叩いてくれたであろう多くの方々、ありがとうございました! 

 

橋本直己

(2014.12.31)